2018年07月13日

いつも、すべて、みんな、ぜったいって本当なのか? 〜思考が行う問題の全般化〜

いつも私は人と話すと緊張します…



すべて思い通りにいかなくて辛いです…



みんなできて私だけできないんです…



ぜったい嫌われている…






このいつも、ぜったい、みんな、すべて、の言葉をNLP(神経言語プログラミング)の分野では"全称限定詞"と言います。



思考がよくやる誤作動のひとつです。




一種の投影でもあるのですが




よーく思考を吟味して聞いてみると








ぜったいでもないのに

みんなでもないのに

いつもでもないのに

すべてでもないのに




ぜったいにしてしまっていたり

みんなにしてしまっていたり

いつもにしてしまっていたり

すべてにしてしまっています。





先ほどの


「いつも私は人と話すと緊張します」を例にすると





多分いつもじゃないんです。







いつも緊張してますか?

親にも?兄弟にも?友達にも?



というと、「親や兄弟は大丈夫ですね」と答えます。




つまりいつもじゃないんです。



絞り込んでいくと例えば


「喋ったことのない同年代の人と話す時に緊張する」

となったりします。






実はここからが本当のテーマなんです。


本人は問題がぼんやりしていた分だけ、苦しみはぐるぐるだったでしょう。




思考はこういう全般化を無意識によくやります。

そうすることで余計苦しむのです。







先ほどの例のケアに入る前にはこういうざっくりしたものを精査していく作業が必要になります。




ここから親とその緊張が出る同年代の話したことない人とは何が本人にとって違うのか?

などを入り口にしてケアに入っていきます。





このブログを読んでくださっている方も、全称限定詞を使って、ぐるぐるしてませんか?

ご自分で整理をするのは、大変かもしれません。


お力になれれば、整理していきましょう。











posted by 創間元哉 at 18:11| そうまのコトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする