2018年09月16日

みること 〜剣の師匠からの教え〜

可能性の扉はひとつなのだろうか




それにこだわっていることはひとつの可能性。



他にも可能性はある。







こだわりに力が入っている



そこに執着している時は、何かが見えていない。







僕が殺陣の修行をしている時



剣の師匠から言われたことがある。








相手と向き合ったとき



相手の表情や切っ先だけに囚われて、見ているのでは相手の剣を受けられない。



相手と向き合うときは



”ぼんやりとだいたい見るのだ”と。







信号待ちをしている時


君は信号をじっと見ているだろうか。




きっと何かを考えながら


周りに注意を払いながら


ぼんやりと見ているのではないか。





確かにそうだった。

僕らは普段生活している時

ほとんどはぼんやり見ている。





これはセッションの場や自分の目的意識にも通ずるものがあると振り返っている。




クライアントさんのお話をぼんやり聞くというのは何だかおかしな感じがする人もいるだろう。



しかし僕の中ではクライアントさんのお話のストーリーにセラピストとして巻き込まれるより


これはなんだろう、何をもってそう感じているのだろう、何が起こっているのだろうと、俯瞰してみるというのはこれに通ずる気がする。






最近の自分の目的意識にもそれは同じことが言えると感じる。



こだわりすぎて見つめ過ぎていたことから、少しぼんやり全体的に見ていく必要があると感じている。






僕の中で開いた花が、少しずつその影響を出し始めている。
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posted by 創間元哉 at 21:47| そうまのコトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする