僕自身、以前は「先生」と呼ばれることをあまり好まなかったのだけれど
最近はそれもいいんじゃないって自分がいるんです。
だって、僕がいくら嫌がっていてもそれは僕個人の投影であり、その人は関係ないのですから。
それにその人に、僕を尊敬するな!僕を軽蔑するな!といってもコントロールはできないのですから。
僕のイメージって人によってもぜんぜん違うと思います。
きっとそれぞれの思考の世界で解釈しているから。
中には”完璧な人””できる人”というイメージを持たれる方もいらっしゃいます。
僕が出張中に洗濯を自分でするとお話ししたときに「まったくイメージがつかない」という声をもらったことがあるんです。。
ぜんぜん洗濯します。
ぜんぜん靴下とかたたみます。
ぜんぜん〇〇します。
ぜんぜん○○とかもします。
○○に何を入れるかは、それぞれの見ている解釈で違うんですよね。何を入れたんでしょうね、ぐふふ。
そうなんです。
僕らは相手を見ているようで、自分のイメージと事実のその人の区別がついてないです。
本当にこの区別を脳はできないんです。
良い風に見たり、悪い風に見て見損なったり、「事実、この人はこうに違いない!」と解釈しているんですよね。
面白いですよね。
僕らは周りのどれくらいの人にそのレッテルを良くも悪くも貼っているでしょう?
ほぼほぼ全員です。
実はあるがままに見ている人なんていないいですよ。
何らかのイメージがくっついています。
通りで歩いている人や、テレビに映っている人に僕らはあってもいないのに、こういう人かも…ってなんらかのイメージで見てますよね。
有名な人はすごい人、有名な人は正しい人、有名な人は自分よりも優れている人、そうしてテレビやネットを見ていますよね。
よくわからない人も、薄気味悪い人、何考えているか分からない人、怪しい人、危ない人なーんてレッテル貼ってますよね。
敵、味方なんてのもわかりやすいレッテルですよね。
この無意識に貼られているレッテルが良くも悪くもどれだけ人間関係を左右しているかは、もう皆さんにも分かりますよね。
人間関係の悩みなどでも、その相手をその人がどういう人と見ているか、レッテルを貼っているかを、見ていくことはとても大事です。
関わりがが薄い人ほどシンプルでわかりやすいですが、関わりが深い人ほどたくさんのレッテルが貼られています。
すべてのレッテルがいけないと言っているのではありませんよ。
その中には、苦しみを生みだすレッテルがあるのです。
それを突き止めることは実はセラピーを行う前段階としてはとても大切なプロセスです。
そこはセッションで丁寧にしていきたいと思っています。
レッテルが分かったら、その貼られた中身を見ていくことで癒しは進みやすくなっていくのです。
僕へのレッテルの中に、洗濯ものをたたんでいる僕も加えてあげてくださいね(笑)
解釈についてはインテグレイテッド心理学を基にお話ししています。