2019年06月06日

私はここにいる 〜なぜ無差別殺人は起こってしまうのか、心の観点から〜

私、どうでもいい人間なんです。


生きていても死んでいてもどうでもいい人間なんです。





そう心底思えますか?




恐らく僕らの思考は避けるでしょう。


何が何でもこの恐るべき自分から避けるでしょう。






思考つまり自我の究極の恐れですから。


普段、当然意識していません。


しかし無意識のうち左右されています。





嫌われる

必要とされなくなる

仲間はずれにされる

孤立する

無視される

価値がなくなる




人によって違いますが


そういった心的状態が、この自我の恐れに直結していることがほとんどです。




そのため表層では



嫌われないように

必要とされるように

仲間に入れてもらえるように

孤立しないように

無視されないように

価値を認めてもらえるように




意識しないところで左右されています。






それがうまくいけば、埋められる感覚になるでしょう。

しかしうまくいかないと、ネガティブな感覚や感情が生まれてくることになります。





そのままでは耐えられない僕らは


違う相手

違う状況

違う環境


を求めます。



上記のようにならないように。








ただこれがうまくいかないことが続くとどうでしょうか。



どちらも恐れをずっと感じていられない耐えきれないので

必然的に無意識に抑圧されます。

もちろん抑圧されても無くなっているわけではありません。

無意識下からその人に苦しい投影を生み出します。



それが表に出てくる場合

大きくは2つに別れます。





1.投影により他者への攻撃を行う。


2.投影により自己攻撃を無意識に行い、行き場のない思いや感情が滞留し精神疾患になる。






1.の方は毎日ニュースにも取り上げられているのでわかりやすいでしょう。


先日の川崎での殺傷事件は記憶に新しいです。




容疑者の思いを聞いたわけではないのであくまでも推測としてですが




彼の内側から「私はここにいる!どうでもいい人間だと思わないでくれ!」




と叫びが聞こえてくるようです。





もちろん犯罪を肯定するものではありません。

犠牲者、被害者の家族や、その場面に出くわした子供たちの痛みや苦痛は如何ばかりでしょう。




ただこのメカニズムから何が起こり

何が必要だったかを僕ら第三者は後世のために見出す必要があると考えます。




昨今叫ばれているように、こういった社会的に孤立し、自分の投影の中で八方ふさがりになりかけている人にも

大丈夫だよ、というような受け皿のような社会づくりや、そういった心のケアの場の充実を専門家として、力を入れていきたいです。





2.の方々はエネルギーは内側に向くので

自分で自分を攻撃しています。

それは音も立ちにくく、ニュースにも取り上げられません。



だからこそ、勇気を出してその声を上げてくれた方々には


できるだけ力になりたいと考えています。





僕も誰かの力になることで

私はここにいるを満たしたいひとりなのは間違いないでしょう。




それは自覚し、抱きしめています。

否定するのではなく、抱きしめたいのです。

僕らはこの世界に生まれ落ちた時から、何かが欠けている錯覚をしています。






僕はその思いを持つ自我ちゃんとうまくお付き合いしていきながら


僕のハートに従いたいと感じています。






※自我の恐れや抑圧、投影についてはインテグレイテッド心理学を基にお話ししています。


posted by 創間元哉 at 22:14| そうまのコトバ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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